Tシャツだけで30億を稼ぎ出す『新開強』が選ぶ急成長のために必要な8冊。-前編-

業界のトップを走る「プロフェッショナル」が薦める本とは?読書をもっと面白くする実名ソーシャルリーディングアプリReadHubが、独自インタビューをお届けするReadHubTIMES。学生起業家からオーダーメイドプリントTシャツ事業を年商30億円業界No.1まで育て上げた新開強氏。新開氏が、これからの時代でメーカー・ブランドが勝ち残り続け成長し続けるために読んでおくべき8冊の本をご紹介する。【Professional Library】

株式会社プラスワンインターナショナル代表取締役。1975年生まれ。独協大学を中退しアメリカISU(Indiana State University)に留学。

STUSSYをはじめとするストリートウェアブランド全盛期の中、地元高松にセレクトショップをオープンし、シカゴのストリートブランド「D‐gital」と日本総代理店契約を結ぶなど、学生起業家として活躍。

しかし一方でビジネスなど未経験の勢いだけにまかせた甘さ、その後のアメカジブーム衰退もあって大借金を抱え、アルコールにハマり、異国の地で路頭に迷う。心身ともにどん底の中、代理店時代に見よう見まねではじめたグラフィックデザインでTシャツのPBを作ったことが大きな転機に。帰国後の2003年、オーダーメードプリントTシャツ事業を創設。

実店舗37店舗、年間販売枚数227万枚以上、売上約30億の業界No.1企業に育て上げる。現在ではTシャツのみならず幅広くオーダーメードプリントを展開。自身の起業の原点である「デザイン」の魅力を広く伝えたい、「感動のデザインを身近に」をモットーに事業に打ち込んでいる。

かっこ良くなりたくてアメリカへ

香川県の高松市で高校まで育った私は、周囲の流れと共に東京の大学に進学しました。その大学では楽しく過ごしていたのですが、大学2年の時に「留学ってかっこ良いな」と、ふと思いました。短期の留学よりも4年間の方が良いと考えた私は親に話し、東京の大学を中退し、アメリカのISU(Indiana State University)に進学しました。

 

勢いだけで始まったアメリカでの大学生活は、当然挫折の連続でした。日本では得意な方だった英語もアメリカでは通用せず、授業についていくのでも精一杯です。学生生活をしている時でも「かっこ良く」あることに執着していた私は、アパレル事業のスタートというさらなる勢いだけの行動に出たのです。

 

ピンチで自分の覚悟を決める

アメリカの大学に通っていると、当時日本で大流行していたアメリカで売られているブーツを買ってきてほしいと友人に頼まれることがありました。最初は直接の友人を中心に買ってきていましたが、どんどん自分の直接の友人以外にも広がってきて、手数料をとったら良いのではないかと考え、個人輸入の事業を始めました。

 

安易に始めたので、流行が廃っていくのと同時に売り上げはどんどん減っていき、だんだん仕入れも自由にできないような会社の状況になっていきました。そこで私はどこかのブランドに頼るのではなく、自分でデザインを作って売っていくしかないと覚悟を決めました。

 

このデザインに出会ったのもアメリカでした。何もうまくいかず路頭に迷っているときにアメリカのデザイナーと出会いました。そこの代理店でのグラフィックデザインを見よう見まねでひたすらに作業していました。だんだんと作るだけの状況に飽きてきて、実際に形にしてそれっぽいデザインを友人に自慢していましたね(笑)。「かっこ良い」ことをすることしか考えていませんでした。

 

この時も深く考えずにデザインソフトを購入して取り組んだと記憶しています。私は、目先に楽しそうなことがあれば何でもとりあえずやってみます(笑)。最終的にうまくいくことが多いので、深く考えずにとりあえず行動するのが良いのかなと思います。

 

そんなこんなでプライベートブランド(PB)を店に置いていると、偶然の出会いで地元のラーメン店のユニフォームを作るという案件が舞い込んできました。数がまとまって発注が入るユニフォームの案件は革命でした。そこからは地元の飲食店やクラブ活動のユニフォームの作成をして、試行錯誤しながらも売り上げを伸ばしていきました。

 

とりあえず行動に移してみる

転機はクラブ活動を回っているときにある先生から言われた「ホームページは無いのか」という言葉です。当時はまだホームページの凄さを知らなかったのですが、ハガキDMをコツコツ送っていた私はそこに使おうとしていた8000円を、ホームページソフトを買うことに使いました。

 

買ったからには使わないといけないと考え、グラフィックデザインの知識を使いながらサイトを作成していきます。裏のコードとかはぐちゃぐちゃながら、なんとか形にしました。すると、それまでDMを200部送っても1件発注があるかないかだったのが、サイトの広告を出して2日で1件東京から見積もり依頼があったんです。「これはすごい。」と確信しました。

 

ネット上のやりとりに慣れていなくて、結局その案件は失注してしまったのですが、この全国区に広がる最強のツールに魅せられました。4ヶ月ぐらい経ったところでSEOもだいぶ上がってきて、1日に数件の受注が取れるようになったのです。

 

結果として売り上げは、2004年の6000万円から、年々上がっていき今では約30億円にならせていただきました。ここまで来るのには、最初の行動することが一番重要です。私の場合はホームページを作ってみることでしたが、自分本位に妄想しながらとりあえず行動に移すことが大事だと思います。

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